オバカと云えば某国大統領のことらしいが、ここで云うオバカは、そのような妄想(思想)を云う。それは、やくざのチンピラに、明日から警察(抑止力)を廃止するから話し合いで物事を解決しよう、と云うことである。
さすがに某国大統領は、その間違いに気付いて修正を始めたようであるが、最早完全に手遅れである。その影響は中東の春に始まり、ISISになり、さらに世界に拡大している。
米国の銃社会(年間365回以上銃撃事件が発生)が存在可能なのは、それに対応する警察力とそれを維持する経済力があるからである。そんな経済力は発展途上国では不可能である。
我が国にも、中国が攻めて来たら酒を飲んで話せば分かるとか、憲法9条が有れば阻止できるとか、云う左巻き居る。彼らはどのような状況になれば、某国大統領のように自分の間違いに気付くのであろうか。
満州(満族、朝鮮族)もチベットもウイグルも既に本来の現地人は、共産党により、少数民族化されたらしいが、日本の左巻きはその傾向が日本で発現するまで気付かないだろう。いや実は、それを利用して、日本の支配者になることを某略しているのである。
2015年12月4日金曜日
2015年11月26日木曜日
日本の劣化(思考能力)
日本の劣化を考える時、日本人のやる気の減少と共に思考能力の劣化を言わざるを得ない。
例えば携帯電話料金の高額が問題となって、政府までもが値下げを指導せざるを得ない状況にある。そして政府や専門家の馬鹿が日本の料金は欧米より1割は高額だから是正すべきと主張している。
1割程度高いのが問題になるはずはない、一寸考えれば分かることだ。
以前中国で仕事をしていた時は、行く度に直ぐ携帯電話を買うことにしていた。それは日本より10倍、20倍と安いからだ。
昨日(11月24日2015年)ダバオで携帯電話を買ったが、629p(1800円弱)だった。勿論本体価格だけでなく、SIMも登録料も当分の使用量も含めてである。身分証明などの手続きも不要で、買ったその場から使用可能である。
そのことと、日本の現状との比較をすべきであって、欧米の特殊市場や特殊状況と比較する意味は何なのか。
安全確保のために電話管理が必要と主張する馬鹿が居るが、安全は公安や秘密警察の強化で可能(効率的)であって、電話管理(非効率の典型)で出来る訳が無い。電話管理強化で国の経済発展に支障を来して、その損害は莫大である。
電話会社のために管理強化している訳ではない、電話会社は支払いが滞れば即切る(解除)だけのことである。
これらは、少し考えれば直ぐ分かることだ。
政治家が馬鹿なのではない、それを動かす国民に思考能力が欠如しているからである。
例えば携帯電話料金の高額が問題となって、政府までもが値下げを指導せざるを得ない状況にある。そして政府や専門家の馬鹿が日本の料金は欧米より1割は高額だから是正すべきと主張している。
1割程度高いのが問題になるはずはない、一寸考えれば分かることだ。
以前中国で仕事をしていた時は、行く度に直ぐ携帯電話を買うことにしていた。それは日本より10倍、20倍と安いからだ。
昨日(11月24日2015年)ダバオで携帯電話を買ったが、629p(1800円弱)だった。勿論本体価格だけでなく、SIMも登録料も当分の使用量も含めてである。身分証明などの手続きも不要で、買ったその場から使用可能である。
そのことと、日本の現状との比較をすべきであって、欧米の特殊市場や特殊状況と比較する意味は何なのか。
安全確保のために電話管理が必要と主張する馬鹿が居るが、安全は公安や秘密警察の強化で可能(効率的)であって、電話管理(非効率の典型)で出来る訳が無い。電話管理強化で国の経済発展に支障を来して、その損害は莫大である。
電話会社のために管理強化している訳ではない、電話会社は支払いが滞れば即切る(解除)だけのことである。
これらは、少し考えれば直ぐ分かることだ。
政治家が馬鹿なのではない、それを動かす国民に思考能力が欠如しているからである。
2015年10月9日金曜日
アベノミクス 新3本の矢
アベノミクス新3本の矢の中、2番目と3番目、つまり出生率1.8と社会保障の強化に付いては、現状のデフレと停滞GDPの下ではどんな提案を持ってしても実現不可能な矢である。
然るに1本目の矢、GDP600兆円に付いては、不可能と云う意見は多いが、これは絶対に実現しなければならない矢であり、これ無しでは日本の未来は開けない。この矢に関しては今後多数の提案が出て来ると期待されるが、私の提案を以下に述べたい。
まず全国で1万件(10e4)の研究開発課題を選定し、各課題に平均で一件当たり10億円(10e9)支給する。総支援費用は10兆円(10e13)に過ぎない。対象課題の1000件(10e3)が成功し、平均で1件当たり100億円/年(10e10)の売り上げが実現したとすれば、その新事業又は新商品による直接売り上げは10兆円/年となる。その波及効果が2倍あれば20兆円、3倍あれば30兆円のGDP増大となる。しからばGDP600兆円などは簡単に達成できる。
今の日本の現状は、馬鹿なマスゴミ等々が財政の均衡を強調するばかりで、このような絵に描いた餅を掲げることがない。
現状の研究開発補助金は、県では100万円単位、国では1千万円単位であり、かつ主要設備費(総投資額ではない)の半分とか1/3とかの制約が有る。更に沢山の申請書類と報告書類を書かせる。こんな非効率で、かつ小さな金額の支援システム(実際は中小企業救済策的、関係公務員の仕事作り的)では、GDP600億円などは到底実現不可能である。
尚、上記10兆円の補助金は国債発行によるので、現状の低金利下では国民負担は全くないばかりか、むしろ大量国債発行により、1%以上のインフレを実現することの方が重要である。
然るに1本目の矢、GDP600兆円に付いては、不可能と云う意見は多いが、これは絶対に実現しなければならない矢であり、これ無しでは日本の未来は開けない。この矢に関しては今後多数の提案が出て来ると期待されるが、私の提案を以下に述べたい。
まず全国で1万件(10e4)の研究開発課題を選定し、各課題に平均で一件当たり10億円(10e9)支給する。総支援費用は10兆円(10e13)に過ぎない。対象課題の1000件(10e3)が成功し、平均で1件当たり100億円/年(10e10)の売り上げが実現したとすれば、その新事業又は新商品による直接売り上げは10兆円/年となる。その波及効果が2倍あれば20兆円、3倍あれば30兆円のGDP増大となる。しからばGDP600兆円などは簡単に達成できる。
今の日本の現状は、馬鹿なマスゴミ等々が財政の均衡を強調するばかりで、このような絵に描いた餅を掲げることがない。
現状の研究開発補助金は、県では100万円単位、国では1千万円単位であり、かつ主要設備費(総投資額ではない)の半分とか1/3とかの制約が有る。更に沢山の申請書類と報告書類を書かせる。こんな非効率で、かつ小さな金額の支援システム(実際は中小企業救済策的、関係公務員の仕事作り的)では、GDP600億円などは到底実現不可能である。
尚、上記10兆円の補助金は国債発行によるので、現状の低金利下では国民負担は全くないばかりか、むしろ大量国債発行により、1%以上のインフレを実現することの方が重要である。
2015年9月24日木曜日
クリーンディーゼル
フォルクスワゲンのクリーンディゼル不正事件が世界を賑わしているが、クリーンディゼルなどと云うものが有りうるのか、基本的に疑問である。
ディゼルエンジンにしろガソリン(オットー)エンジンにしろ開発されて100年以上、環境対策が言われて数十年、その間若干の改善は有ったが、大幅な改善は無い。原理原則が不変、即ち熱サイクルが固定されている訳で根本的な改善が無いのは当然の結果であろう。
この間、関係技術者は長年の開発実績よりディゼルエンジンの性能限界を見切ったのであろう、その結果としてソフトを誤魔化す不正に走ったと想像される。
ディゼル車にガソリン車と同様にハイブリッド(バッテリ搭載)にしたらと云う提案もあったかもしれないが、これで環境対策が抜本的に改善されることは考えられない。バッテリを利用してブレーキエネルギを回収するとか、最適運転条件になるように電動補助するとかは可能であり、それによってエネルギ効率の向上は図られるだろうが、環境対策に大きな効果が有るとは考え難い。
それより今関心が有るのは、トヨタやスズキがこの件についてどれだけのことを知っていたかと云うことである。トヨタがワーゲンと手を切りマツダと提携、スズキはワーゲンと絶縁し全自社株を買い取った。トヨタはワーゲンの技術を自主解析し、経営判断した可能性はあるが、スズキはそれ以外の方法で情報(技術情報の提供拒否、等)を入手した可能性もある。
いずれにしてもスズキの爺様は対した玉だ。
ディゼルエンジンにしろガソリン(オットー)エンジンにしろ開発されて100年以上、環境対策が言われて数十年、その間若干の改善は有ったが、大幅な改善は無い。原理原則が不変、即ち熱サイクルが固定されている訳で根本的な改善が無いのは当然の結果であろう。
この間、関係技術者は長年の開発実績よりディゼルエンジンの性能限界を見切ったのであろう、その結果としてソフトを誤魔化す不正に走ったと想像される。
ディゼル車にガソリン車と同様にハイブリッド(バッテリ搭載)にしたらと云う提案もあったかもしれないが、これで環境対策が抜本的に改善されることは考えられない。バッテリを利用してブレーキエネルギを回収するとか、最適運転条件になるように電動補助するとかは可能であり、それによってエネルギ効率の向上は図られるだろうが、環境対策に大きな効果が有るとは考え難い。
それより今関心が有るのは、トヨタやスズキがこの件についてどれだけのことを知っていたかと云うことである。トヨタがワーゲンと手を切りマツダと提携、スズキはワーゲンと絶縁し全自社株を買い取った。トヨタはワーゲンの技術を自主解析し、経営判断した可能性はあるが、スズキはそれ以外の方法で情報(技術情報の提供拒否、等)を入手した可能性もある。
いずれにしてもスズキの爺様は対した玉だ。
2015年9月2日水曜日
日本の恥部
一連の五輪関連事故は日本の恥部をさらけ出してしまった。すなわち上に立つ者(Establishment)の能力が落ちていると云うことである。
かっての日本の国民は全員がテレビを見ていたかもしれないが、現在はテレビを見る下級国民とテレビを見ない上級国民に二分されるようになった。しかるに、そのことを理解出来ない馬鹿が上に立っている。
例えば、五輪組織委などはその典型で、エンブレム問題で、専門家には理解出来るが、一般国民には理解出来ない、などと国民を蔑視にしたような寝言を言っている。実際は上級国民の方が進んでいて、上級国民はパクリとは関係なく、デザインが悪いと言っているのであるが、組織委はそのことが全く理解出来ていない。私の周りでは、パクリの指摘が出る前から、エンブレムに賛成する人は皆無であった。前回の東京五輪をはじめ、過去の種々のエンブレムに付いて、非難は殆ど無かったことと合わせ、反省してみる必要がある。
日本で最も遅れている部分が、マスゴミと宣伝(デザイン)である。つまり彼らは自分たちが上に立つ者で、国民が下に居ると誤解している集団である。今回のエンブレム事件は、たまたま宣伝部門が顕在化したに過ぎない。近い将来はマスゴミ部門の問題が続出するであろう。
かっての日本の国民は全員がテレビを見ていたかもしれないが、現在はテレビを見る下級国民とテレビを見ない上級国民に二分されるようになった。しかるに、そのことを理解出来ない馬鹿が上に立っている。
例えば、五輪組織委などはその典型で、エンブレム問題で、専門家には理解出来るが、一般国民には理解出来ない、などと国民を蔑視にしたような寝言を言っている。実際は上級国民の方が進んでいて、上級国民はパクリとは関係なく、デザインが悪いと言っているのであるが、組織委はそのことが全く理解出来ていない。私の周りでは、パクリの指摘が出る前から、エンブレムに賛成する人は皆無であった。前回の東京五輪をはじめ、過去の種々のエンブレムに付いて、非難は殆ど無かったことと合わせ、反省してみる必要がある。
日本で最も遅れている部分が、マスゴミと宣伝(デザイン)である。つまり彼らは自分たちが上に立つ者で、国民が下に居ると誤解している集団である。今回のエンブレム事件は、たまたま宣伝部門が顕在化したに過ぎない。近い将来はマスゴミ部門の問題が続出するであろう。
2015年8月27日木曜日
原発反対理由に付いて
原発反対の理由は二つある。一つの理由は、交通事故で死ぬ可能性が大きいことは覚悟しているから死んでも良い(毎年100万人死亡)。原発事故で死ぬのは覚悟していないからダメ、と云うものである。
他方の理由は、沢山の人と同じ原因で死ぬのは良いが、原発事故や奇病や雷など珍しい死に方はダメ、と云うものである。
何れの理由にも共通しているのは、感情だけで確率と云う概念が全く無いことである。世の中には完全に安全と云うものは無いから確率に従って生きるしかないと考える人(後者)と、前者のように感情で生きる人が居る。両者はお互いが理解出来ないので議論しても議論にならない。
確率と云う概念は幼少時からの長年の教育によってのみ得られるもので
あり、簡単に得られるものでない(政治家やマスゴミが説明して分かるようなものではない)。つまり原発の様な問題は永久に完全解決(全員同意)は有り得ない。
因みに、確率だけで言えば、チェヘリノブイリ以来約30年、原発事故の直接死亡者はゼロだから、原発が最も安全で、原発より安全な文明の利器は世の中に無い、と云うことになる。
他方の理由は、沢山の人と同じ原因で死ぬのは良いが、原発事故や奇病や雷など珍しい死に方はダメ、と云うものである。
何れの理由にも共通しているのは、感情だけで確率と云う概念が全く無いことである。世の中には完全に安全と云うものは無いから確率に従って生きるしかないと考える人(後者)と、前者のように感情で生きる人が居る。両者はお互いが理解出来ないので議論しても議論にならない。
確率と云う概念は幼少時からの長年の教育によってのみ得られるもので
あり、簡単に得られるものでない(政治家やマスゴミが説明して分かるようなものではない)。つまり原発の様な問題は永久に完全解決(全員同意)は有り得ない。
因みに、確率だけで言えば、チェヘリノブイリ以来約30年、原発事故の直接死亡者はゼロだから、原発が最も安全で、原発より安全な文明の利器は世の中に無い、と云うことになる。
2015年7月31日金曜日
東京オリンピック と 日本人の劣化
東京オリンピックに関しては、既に二つの問題が露見しているが、更に次から次と新しい課題が露見するであろう。それは日本人の劣化(驕りによる思考能力の劣化)に起因するからである。
一つは国立競技場計画の白紙撤回であり、他方はオリンピックエンブレムのパクリ疑惑である。マスゴミによればいずれの問題も責任者または責任体制の不在(不明確)によるとされるが、その意見は間違っている。両者とも責任者、責任体制の所在は明確である、つまり管理者(役人)に思考能力が無いと云うことに尽きる。
国立競技場に付いていえば、直接責任は、明らかに予算(1300億)を超過する案を選定した安藤忠雄であるが、安藤の様な西洋かぶれ技術馬鹿の意見を採用すれば大きな問題が発生すると云うリスクを予測できない役人の思考能力の欠如が本当の原因である。
エンブレム付いても同様なことであり、直接原因は西洋かぶれインチキデザイナーにあるが、あのようなものを選定すれば世界中の何処かからクレームが付くであろうと云うリスクを予測できない役人の思考能力欠如が主因である。1940年、1964年、2020年準備、のエンブレムを見れば、そのことが容易に分かる。いずれのエンブレムも誰が見ても日本的で外国からパクリだと非難されるリスクは全く無い。
管理者(役人)の思考能力の欠如が、日本の伝統や文化を重視しない戦後教育の結果から起きているとすれば、今こそ戦後教育(リベラル?グローバリズム?)を改めることが喫緊の課題であろう。
一つは国立競技場計画の白紙撤回であり、他方はオリンピックエンブレムのパクリ疑惑である。マスゴミによればいずれの問題も責任者または責任体制の不在(不明確)によるとされるが、その意見は間違っている。両者とも責任者、責任体制の所在は明確である、つまり管理者(役人)に思考能力が無いと云うことに尽きる。
国立競技場に付いていえば、直接責任は、明らかに予算(1300億)を超過する案を選定した安藤忠雄であるが、安藤の様な西洋かぶれ技術馬鹿の意見を採用すれば大きな問題が発生すると云うリスクを予測できない役人の思考能力の欠如が本当の原因である。
エンブレム付いても同様なことであり、直接原因は西洋かぶれインチキデザイナーにあるが、あのようなものを選定すれば世界中の何処かからクレームが付くであろうと云うリスクを予測できない役人の思考能力欠如が主因である。1940年、1964年、2020年準備、のエンブレムを見れば、そのことが容易に分かる。いずれのエンブレムも誰が見ても日本的で外国からパクリだと非難されるリスクは全く無い。
管理者(役人)の思考能力の欠如が、日本の伝統や文化を重視しない戦後教育の結果から起きているとすれば、今こそ戦後教育(リベラル?グローバリズム?)を改めることが喫緊の課題であろう。
2015年7月13日月曜日
原理原則と政治
我々技術者の世界では原理原則に乗ってことは進む。原理原則から外れれば技術開発は成功しない。最もよくある例では、エントロピー概念が無いところでは技術開発は出来ない。
其れに対し、政治の世界では原理原則は殆ど関係ないらしい。2、3の例を上げてみよう。
沖縄に関して、交付金や補助金無では沖縄が存続困難なことは誰でも理解出来るだろう。しかるにギリシャが支援金なしで存続可能といっているのが現在のユーロである。短期的解決としては支援方法や支援金額を検討する以外には無い(長期的解決も不可能だが)。
共産党(社会主義)に関して、共産党王朝体制は存在可能であろう。すなわち共産党員貴族と貧困庶民の体制である。これはかってのソビエト、ルーマニアやアフリカの一部、現在の中国や北朝鮮がそれを証明している。逆に共産党福祉国家体制は存在しえない。歴史的にも存在していないし、それに挑戦した国は破滅するだけだ(ギリシャのように)。民主主義も自由も無いのに幸福になれる訳が無い。しかるに共産党福祉国家を目指すと云うのが中国、日本共産党をはじめ世界の共産党の言いである。
国立競技場に関して、これは文化国家と自称する日本の馬鹿話である。現在の案(ザハ)に賛成する政治家は森元を除いて誰も居ない。当然国民の大部分(90%近く)も反対である。しかるに工事は進んでいる。まさに原理原則から逸脱した政治の真骨頂である。
其れに対し、政治の世界では原理原則は殆ど関係ないらしい。2、3の例を上げてみよう。
沖縄に関して、交付金や補助金無では沖縄が存続困難なことは誰でも理解出来るだろう。しかるにギリシャが支援金なしで存続可能といっているのが現在のユーロである。短期的解決としては支援方法や支援金額を検討する以外には無い(長期的解決も不可能だが)。
共産党(社会主義)に関して、共産党王朝体制は存在可能であろう。すなわち共産党員貴族と貧困庶民の体制である。これはかってのソビエト、ルーマニアやアフリカの一部、現在の中国や北朝鮮がそれを証明している。逆に共産党福祉国家体制は存在しえない。歴史的にも存在していないし、それに挑戦した国は破滅するだけだ(ギリシャのように)。民主主義も自由も無いのに幸福になれる訳が無い。しかるに共産党福祉国家を目指すと云うのが中国、日本共産党をはじめ世界の共産党の言いである。
国立競技場に関して、これは文化国家と自称する日本の馬鹿話である。現在の案(ザハ)に賛成する政治家は森元を除いて誰も居ない。当然国民の大部分(90%近く)も反対である。しかるに工事は進んでいる。まさに原理原則から逸脱した政治の真骨頂である。
2015年4月20日月曜日
格差社会、 ピケッティ
未だにピケッテだ、r>gだ、とか言って騒いでいる人が居る。それが格差社会の一因であるかもしれないが、ゴミみたいな話だ。格差社会の主因はそんなものではなく、現在、現実の社会システムに存在することは明らかである。
主因は、上と上が結婚し、下と下が結婚するからである。その結果として、上は代々銀行や証券等へ正規就職し、下は代々非正規やフリーターになり、親子3代生活保護なんて家系が存在するのである。
逆に言えば格差社会を是正する方法は、上下が結婚する社会システムを構築する以外には無い。具体的な方法としては教育の無償化、特に大学教育の無償化が必要である。しかし現実社会はその逆方向に進んでいる、つまり下にとっては高名大学などは益々縁遠い存在になっている。
グローバル化やITの高度化は格差社会を助長する役目はあるが、格差社会を防止する役目は無い。強制的上下混合システム(強制結婚や妻妾制度など実現不可能)施策を実施しない限り、格差社会が拡大することが有っても縮小することは無い。
主因は、上と上が結婚し、下と下が結婚するからである。その結果として、上は代々銀行や証券等へ正規就職し、下は代々非正規やフリーターになり、親子3代生活保護なんて家系が存在するのである。
逆に言えば格差社会を是正する方法は、上下が結婚する社会システムを構築する以外には無い。具体的な方法としては教育の無償化、特に大学教育の無償化が必要である。しかし現実社会はその逆方向に進んでいる、つまり下にとっては高名大学などは益々縁遠い存在になっている。
グローバル化やITの高度化は格差社会を助長する役目はあるが、格差社会を防止する役目は無い。強制的上下混合システム(強制結婚や妻妾制度など実現不可能)施策を実施しない限り、格差社会が拡大することが有っても縮小することは無い。
2015年3月24日火曜日
エタノール社会に向けて
最近の日本で即ち3・11後、原発が停止した後、漸くエネルギー問題が脚光を浴びているが、第一次、第二次オイルショックを通して我々技術者は常にエネルギー問題に取り組んできた。そして30年以上に渡る思考の結果導かれた、エネルギー問題解決の(日本に限らず地球規模での)最終結論がエタノール社会の構築である。
基本的な発想は2点有り、一点は昔から存在するもので、エネルギー源が化石燃料ではなく(原発を補完するものとして)再生可能エネルギーであること、である。
それは現太陽エネルギーの活用であり、具体的には廃棄セルローズの活用で、最大対象は廃棄植物になる。
他の点は、水素社会構築よりエタノール社会構築の方が優利であること、である。有利な点は多々あるが一つだけ上げれば、エネルギー効率が遥かに有利である。水素社会では電気分解により水素を得、それをまた電気に戻すのであるから、莫大なエネルギーを失するのは明らかで説明を労するまでも無い。
廃棄セルローズからバイオエタノールを作り、それをエネルギー源とする方法は、数十年に渡る研究開発にも拘わらず未だに実用化されていない技術である。
バイオエタノール研究開発が進展しない原因と、その解決策としてして以下のことが考えられる。(下記項目の詳細説明にはそれぞれ別途報告が有るのでここでは項目のみ列挙する)。
1.研究開発者に技術的視点が不足している。
大学や公的機関(学者)から民間企業(技術者)へシフトする。
2.出発原料を穀物(糖)や廃棄植物に設定している。
出来るだけ純粋な廃棄セルローズ(古紙等)を出発原料とする。
3.エタノールの活用目的をガソリン代替えとしている。
エタノールの活用を燃料電池により電力に変換する。
4.酵素(触媒)、酵母の回収が無いプロセスである。
酵素(触媒)、酵素を回収し再利用するプロセスとする。
5.複数リアクターの複雑プロセス(大型設備)である。
ワンリアクター方式の単純プロセス(小型設備も可能)とする。
当然以上の解決策には新規技術の確立が必要となるが、大部分の技術に付いては(孤軍奮闘ではあるが)目途が立ちつつある。将来的には新規酵母、酵素や新規細菌等の開発、および更なる燃料電池の効率化が実現すると予想されるので、前途は無限に大きくなって行くだろう。
現在望まれることは、多くの賛同者を得て、大きな開発プロジェクト(国家的プロジェクト)に進化して行くことである。
基本的な発想は2点有り、一点は昔から存在するもので、エネルギー源が化石燃料ではなく(原発を補完するものとして)再生可能エネルギーであること、である。
それは現太陽エネルギーの活用であり、具体的には廃棄セルローズの活用で、最大対象は廃棄植物になる。
他の点は、水素社会構築よりエタノール社会構築の方が優利であること、である。有利な点は多々あるが一つだけ上げれば、エネルギー効率が遥かに有利である。水素社会では電気分解により水素を得、それをまた電気に戻すのであるから、莫大なエネルギーを失するのは明らかで説明を労するまでも無い。
廃棄セルローズからバイオエタノールを作り、それをエネルギー源とする方法は、数十年に渡る研究開発にも拘わらず未だに実用化されていない技術である。
バイオエタノール研究開発が進展しない原因と、その解決策としてして以下のことが考えられる。(下記項目の詳細説明にはそれぞれ別途報告が有るのでここでは項目のみ列挙する)。
1.研究開発者に技術的視点が不足している。
大学や公的機関(学者)から民間企業(技術者)へシフトする。
2.出発原料を穀物(糖)や廃棄植物に設定している。
出来るだけ純粋な廃棄セルローズ(古紙等)を出発原料とする。
3.エタノールの活用目的をガソリン代替えとしている。
エタノールの活用を燃料電池により電力に変換する。
4.酵素(触媒)、酵母の回収が無いプロセスである。
酵素(触媒)、酵素を回収し再利用するプロセスとする。
5.複数リアクターの複雑プロセス(大型設備)である。
ワンリアクター方式の単純プロセス(小型設備も可能)とする。
当然以上の解決策には新規技術の確立が必要となるが、大部分の技術に付いては(孤軍奮闘ではあるが)目途が立ちつつある。将来的には新規酵母、酵素や新規細菌等の開発、および更なる燃料電池の効率化が実現すると予想されるので、前途は無限に大きくなって行くだろう。
現在望まれることは、多くの賛同者を得て、大きな開発プロジェクト(国家的プロジェクト)に進化して行くことである。
2015年3月18日水曜日
水素社会 エタノール社会
水素社会を目的に多くの施策が既に実行に移されている。すなわち水素社会が全ての課題の解決策であるかの様に主張され、インフラ整備に莫大な資金(税金も)が使われている。しかし、水素社会はコスト面を初めとして、多くの問題を抱えており推奨できない。
私の理屈では、水素社会よりはエタノール社会の方が望ましいと考えられ、現在エタノール社会実現に向けた(現実は孤軍奮闘ではあるが)技術開発に取り組んでいるところである。
水素社会とエタノール社会の比較を取り上げれば、まずインフラ費用が全く異なる。水素は漏洩した場合危険であり、また貯蔵も困難である。エタノールはタンクに入れて置くだけでOK、つまり取り扱いが容易である。
水素の確保は洋上発電や原発による電気分解が予想されるが、種々の問題を抱えていることは言うまでもない(現状の様に化石原料から水素を作るのはエネルギー効率面より論外である)。
エタノールはセルロース廃棄物(紙、植物)から容易に作ることが可能であり、地球環境面からも望ましい。エタノール燃料電池も既に実現している。すなわち原理的(科学的)には可能なことは実証済みであるが、技術的には出発点にも立っていない。
特に開発途上国を考えた場合(労働力が安いこと、インフラ整備が小さいこと等より)、直ぐにも実用化可能なのはエタノール社会である。
水素社会に向けては世界中で公的支援を受け、多数の企業、科学者、技術者が活躍しているが、エタノール社会に向けた活動についての話は殆ど聞かない。当分私の孤軍奮闘が続くであろう。
私の理屈では、水素社会よりはエタノール社会の方が望ましいと考えられ、現在エタノール社会実現に向けた(現実は孤軍奮闘ではあるが)技術開発に取り組んでいるところである。
水素社会とエタノール社会の比較を取り上げれば、まずインフラ費用が全く異なる。水素は漏洩した場合危険であり、また貯蔵も困難である。エタノールはタンクに入れて置くだけでOK、つまり取り扱いが容易である。
水素の確保は洋上発電や原発による電気分解が予想されるが、種々の問題を抱えていることは言うまでもない(現状の様に化石原料から水素を作るのはエネルギー効率面より論外である)。
エタノールはセルロース廃棄物(紙、植物)から容易に作ることが可能であり、地球環境面からも望ましい。エタノール燃料電池も既に実現している。すなわち原理的(科学的)には可能なことは実証済みであるが、技術的には出発点にも立っていない。
特に開発途上国を考えた場合(労働力が安いこと、インフラ整備が小さいこと等より)、直ぐにも実用化可能なのはエタノール社会である。
水素社会に向けては世界中で公的支援を受け、多数の企業、科学者、技術者が活躍しているが、エタノール社会に向けた活動についての話は殆ど聞かない。当分私の孤軍奮闘が続くであろう。
2015年3月1日日曜日
インターネット と マスゴミ
新聞購読を止めて10年近くになる。インターネットを通じて新聞記事を読むので新聞を読まないとは言えないが、新聞購読なしで生活に全く問題が無いことは明らかである。
インターネットは虚偽や個人意見が多いので(インターネットはそのことが公知になっている)、そのことを十分理解した上で内容を評価する必要がある。すなわち、十分に思考能力があるならばインターネットは役に立つと言うことが出来る。
マスゴミは社説や論評を除いて正確公平中立と謳っているが、実際は偏向の塊で虚偽すら多い。(例えば朝日は従軍慰安婦の捏造は謝罪したが、南京大虐殺の捏造は未だ謝罪していない)。このようなごまかしマスゴミではマスゴミを信用しなくなるのは当然の結果であろう。むしろ自分の思想や支持政党などを表明した後、記事にしたり、発言した方がマスゴミの生き残る道であろう。
親しい女性に何故新聞を取るのか聞いたら、町の情報(文化教室や講演会など)や、広告チラシを見るためと答えた。これが現在購読者の大部分の購読理由かもしれない。
インターネットは虚偽や個人意見が多いので(インターネットはそのことが公知になっている)、そのことを十分理解した上で内容を評価する必要がある。すなわち、十分に思考能力があるならばインターネットは役に立つと言うことが出来る。
マスゴミは社説や論評を除いて正確公平中立と謳っているが、実際は偏向の塊で虚偽すら多い。(例えば朝日は従軍慰安婦の捏造は謝罪したが、南京大虐殺の捏造は未だ謝罪していない)。このようなごまかしマスゴミではマスゴミを信用しなくなるのは当然の結果であろう。むしろ自分の思想や支持政党などを表明した後、記事にしたり、発言した方がマスゴミの生き残る道であろう。
親しい女性に何故新聞を取るのか聞いたら、町の情報(文化教室や講演会など)や、広告チラシを見るためと答えた。これが現在購読者の大部分の購読理由かもしれない。
2015年2月2日月曜日
人生と酒
最近は冬の寒さに耐えられなくなって段々南へ(台湾→マニラ→セブ→ダバオ)へ来るようになった。ここの人々の生活は私の日本での生活とは全く違う形態である。
日本においては朝昼晩と酒を飲みながら食事をするのが私の常態で、前日飲み過ぎた場合に、次の日は量を減らすことが辛い修行になっている。いずれにしても酒の無い食事、酒の無い夜の状況は考えらない。
この地では酒の飲める所はかなり少なく自由に飲める環境にはない。すなわち、かなり高給なレストランへ行かなければ酒は置いてない。置いてあってもビールが精いっぱいである。当地では近いマックのようなブランド店である、ジョリビーやチョウキンのような食堂にもビールは置いてない。当然地場の食堂にビールは置いてない。従がって酒(ビール)の飲める食堂を探すのが私の楽しい仕事である。昨日中央広場のバーベキュウ(BBQ)屋数軒当たったら一軒だけビールを置いていた。
現地の人は酒なしで3食とも外食で食事をする場合が多い(南国では家庭で料理を作るのは金持ちだけ)。酒なしで家族全員が楽しく食事を楽しんでいる。酒なしだから子供と一緒に食事が出来るのだろう。現地の食事は概ね一人当たり100p以下で出来るが、ビール小瓶安いところで50p、高いところは100pだから、現地の人にとって朝昼晩と酒を飲むことは経済的にも困難であろう。
いずれにしても酒なしで皆さん楽しそうに幸福に暮らしているのは、全く尊敬するところで、子供が多いのもここらに一因あるのではと考えてしまう。酒を飲まず、日本の様に娯楽設備がふんだんに有る訳でもなく、車やパソコンを持っていることも無く、しかし幸せそうに見える。只日曜日は朝早くから夜遅くまで教会の周りは人で一杯になり、一日中なにかやっている。それに比べ避寒とはいえ、一人でビールを飲んでいる私の人生とは何か考えさせられる。
日本においては朝昼晩と酒を飲みながら食事をするのが私の常態で、前日飲み過ぎた場合に、次の日は量を減らすことが辛い修行になっている。いずれにしても酒の無い食事、酒の無い夜の状況は考えらない。
この地では酒の飲める所はかなり少なく自由に飲める環境にはない。すなわち、かなり高給なレストランへ行かなければ酒は置いてない。置いてあってもビールが精いっぱいである。当地では近いマックのようなブランド店である、ジョリビーやチョウキンのような食堂にもビールは置いてない。当然地場の食堂にビールは置いてない。従がって酒(ビール)の飲める食堂を探すのが私の楽しい仕事である。昨日中央広場のバーベキュウ(BBQ)屋数軒当たったら一軒だけビールを置いていた。
現地の人は酒なしで3食とも外食で食事をする場合が多い(南国では家庭で料理を作るのは金持ちだけ)。酒なしで家族全員が楽しく食事を楽しんでいる。酒なしだから子供と一緒に食事が出来るのだろう。現地の食事は概ね一人当たり100p以下で出来るが、ビール小瓶安いところで50p、高いところは100pだから、現地の人にとって朝昼晩と酒を飲むことは経済的にも困難であろう。
いずれにしても酒なしで皆さん楽しそうに幸福に暮らしているのは、全く尊敬するところで、子供が多いのもここらに一因あるのではと考えてしまう。酒を飲まず、日本の様に娯楽設備がふんだんに有る訳でもなく、車やパソコンを持っていることも無く、しかし幸せそうに見える。只日曜日は朝早くから夜遅くまで教会の周りは人で一杯になり、一日中なにかやっている。それに比べ避寒とはいえ、一人でビールを飲んでいる私の人生とは何か考えさせられる。
2015年1月30日金曜日
ご飯
ご飯を食べる民族は私の知る限り日本民族だけではないか。すなわち、ご飯だけを別にして食べる、又は口の中でご飯と何かを混ぜて食べる、と云う意味である。
逆に言えば他の民族は米と何かを混ぜて料理して食べる、またはご飯に何かを掛けて食べるのである。
最近の避寒はフィリピンにしており、マニラ、セブ、と南に移動し、この二年はダヴァオだが、この地では、ご飯は型にして供され、彼らはそれをフォークとスプーンで崩し他の物と混ぜながら食べる、ご飯だけは食べない。しかもご飯は安いので、食べる量はかなり多いのである。(私はご飯は殆ど食べず(何しろまずい)、ビールでおかずだけを食べる)。
ご飯の食べ方は私の経験範囲では、フィリピンに限らず、世界中どこも同じでご飯だけは食べない。日本の様に、ご飯だけ食べる場所があったら是非教えて欲しい。
農業振興の要点として、日本米の輸出を強調する専門家が多い。しかし、海外での日本食(高い)の普及や在外日本人の増加に伴って少々の輸出増は期待されるが、大幅な輸出増は有り得ないだろう。つまり日本米が極めて高いと同時に、文化と云うものは短時間で変化するものではない。
逆に言えば他の民族は米と何かを混ぜて料理して食べる、またはご飯に何かを掛けて食べるのである。
最近の避寒はフィリピンにしており、マニラ、セブ、と南に移動し、この二年はダヴァオだが、この地では、ご飯は型にして供され、彼らはそれをフォークとスプーンで崩し他の物と混ぜながら食べる、ご飯だけは食べない。しかもご飯は安いので、食べる量はかなり多いのである。(私はご飯は殆ど食べず(何しろまずい)、ビールでおかずだけを食べる)。
ご飯の食べ方は私の経験範囲では、フィリピンに限らず、世界中どこも同じでご飯だけは食べない。日本の様に、ご飯だけ食べる場所があったら是非教えて欲しい。
農業振興の要点として、日本米の輸出を強調する専門家が多い。しかし、海外での日本食(高い)の普及や在外日本人の増加に伴って少々の輸出増は期待されるが、大幅な輸出増は有り得ないだろう。つまり日本米が極めて高いと同時に、文化と云うものは短時間で変化するものではない。
2015年1月28日水曜日
From Davao, not from Davos
ダバオにて感じることは、変化が少ない、と云うことである。前の場所に前の物が有り、前の人間が待っていてくれる。
韓国、中国で30年余り行き来した経験とは全く違う。韓国や中国では来る度に町の様子が変わり、前回とは違う町に思え前回と同じ生活が出来ない。台湾も変化が激しかったが、古い物、戦前の物をキチンと残しているので一応安らぎが有った。韓国や中国は古い物を全部壊して無くしてしまうのである。
何故ダバオが殆ど変らないのか、戦前の日本人社会の教育や2世3世が
残っていて、それが理由で何とかと言う人も居るが、真の理由は現状で大きな不満が無いからであろう。格差は日本よりは、はるかに大きいが、深刻に考えている様には見えない。これも中国や韓国の様に不平不満が充満している社会とは全く違う。
ダバオでは貧乏な人にはそれなりの食事(場所)があり、金持ちには金持ちの食事(場所)が有る。そして、それなりに幸せに見える。人間の幸せとは何なのか考えさせられる。
韓国、中国で30年余り行き来した経験とは全く違う。韓国や中国では来る度に町の様子が変わり、前回とは違う町に思え前回と同じ生活が出来ない。台湾も変化が激しかったが、古い物、戦前の物をキチンと残しているので一応安らぎが有った。韓国や中国は古い物を全部壊して無くしてしまうのである。
何故ダバオが殆ど変らないのか、戦前の日本人社会の教育や2世3世が
残っていて、それが理由で何とかと言う人も居るが、真の理由は現状で大きな不満が無いからであろう。格差は日本よりは、はるかに大きいが、深刻に考えている様には見えない。これも中国や韓国の様に不平不満が充満している社会とは全く違う。
ダバオでは貧乏な人にはそれなりの食事(場所)があり、金持ちには金持ちの食事(場所)が有る。そして、それなりに幸せに見える。人間の幸せとは何なのか考えさせられる。
2015年1月16日金曜日
エネルギー対策(安全保障対策)
エネルギー対策(確保)は国家の安全保障や福祉(経済活動)の基本である。戦前80%以上のエネルギーを米国に依存していたが、その禁輸によって開戦やむなしに至った記憶は最早現代人には無いらしい。対策として経済的にペイしない自然エネルギーだけを言うのは、左巻き活動を職業とする人、又は無知な人々(貧乏人)であろう。
現状の技術レベルにおいても、根本的なエネルギー対策はある。即ち原発と水素エネルギーの組み合わせであるが、何故それを右巻きの政治家が言わないのか(選挙が怖いのは理解出来るが)。
原発は技術の向上によって益々安全になることは明らかであるが、それでも心配ならば、離島(無人島)に原発を設置すれば良い。所詮水素を作るためだから都市近郊に作ったり、送電したりする必要はない。離島に作れば補助金等が不要になるので、原発コストは大幅に削減される。
然るに現状の水素供給案は化石燃料に頼っている訳で、それなら化石燃料から熱機関によって直接有効エネルギーを得た方が効率が良い。
経済的な面からも、安全保障面からも、地球環境面からも、原発利用さえ考えれば、解決策は多々生まれてくるものを、それを禁句にして水素社会を叫ぶ最近のマスゴミは政治家以上に理解不能である。
現状の技術レベルにおいても、根本的なエネルギー対策はある。即ち原発と水素エネルギーの組み合わせであるが、何故それを右巻きの政治家が言わないのか(選挙が怖いのは理解出来るが)。
原発は技術の向上によって益々安全になることは明らかであるが、それでも心配ならば、離島(無人島)に原発を設置すれば良い。所詮水素を作るためだから都市近郊に作ったり、送電したりする必要はない。離島に作れば補助金等が不要になるので、原発コストは大幅に削減される。
然るに現状の水素供給案は化石燃料に頼っている訳で、それなら化石燃料から熱機関によって直接有効エネルギーを得た方が効率が良い。
経済的な面からも、安全保障面からも、地球環境面からも、原発利用さえ考えれば、解決策は多々生まれてくるものを、それを禁句にして水素社会を叫ぶ最近のマスゴミは政治家以上に理解不能である。
2015年1月7日水曜日
インド
次はインドが中国の様に発展すると言われているが、発展とは一体どんな意味で使かわれているのだろうか。
それがGDPの意味ならば、若年人口が多く、海外からの技術移転や資本導入があるので、GDPが大きくなるのは当然であろう。しかし発展の意味が、社会の安定や格差の縮小の意味ならば、インドの発展は甚だ疑問と言わざるを得ない。
中国が共産党一党支配の下では、GDPの増大に拘わらず社会の安定が図られるとは想像も期待も出来ない。同様にインドヒンズー教の下では当分発展は考えられない。すなわちヒンズー教とは1000以上にも上るカーストにより社会の安定を図ると云うシステムであり(民主主義国家と一般には言われているが)民主主義とは本質的に異なるものである。どちらかと言えば、共産党という身分により国家の安定を図る中国に似ている。結論を言えば、中国もインドも社会の安定、もしくは日本のような温い社会は当面は期待できない。
社会、文化、等は何百年・何千年にも渡る歴史の上に築かれたものであり、GDPごときによって左右されるものではない。それにしてもインドの食事は日本食とは真逆のものである。つまり日本でカレー料理といわれているもの、それ以外には無いのである。それに耐えて、毎日同じものを食べても平気で生きていけるインド人の逞しさは日本人から(中国人からも)見れば脅威に値する。
それがGDPの意味ならば、若年人口が多く、海外からの技術移転や資本導入があるので、GDPが大きくなるのは当然であろう。しかし発展の意味が、社会の安定や格差の縮小の意味ならば、インドの発展は甚だ疑問と言わざるを得ない。
中国が共産党一党支配の下では、GDPの増大に拘わらず社会の安定が図られるとは想像も期待も出来ない。同様にインドヒンズー教の下では当分発展は考えられない。すなわちヒンズー教とは1000以上にも上るカーストにより社会の安定を図ると云うシステムであり(民主主義国家と一般には言われているが)民主主義とは本質的に異なるものである。どちらかと言えば、共産党という身分により国家の安定を図る中国に似ている。結論を言えば、中国もインドも社会の安定、もしくは日本のような温い社会は当面は期待できない。
社会、文化、等は何百年・何千年にも渡る歴史の上に築かれたものであり、GDPごときによって左右されるものではない。それにしてもインドの食事は日本食とは真逆のものである。つまり日本でカレー料理といわれているもの、それ以外には無いのである。それに耐えて、毎日同じものを食べても平気で生きていけるインド人の逞しさは日本人から(中国人からも)見れば脅威に値する。
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