2015年1月30日金曜日

ご飯

ご飯を食べる民族は私の知る限り日本民族だけではないか。すなわち、ご飯だけを別にして食べる、又は口の中でご飯と何かを混ぜて食べる、と云う意味である。
逆に言えば他の民族は米と何かを混ぜて料理して食べる、またはご飯に何かを掛けて食べるのである。
最近の避寒はフィリピンにしており、マニラ、セブ、と南に移動し、この二年はダヴァオだが、この地では、ご飯は型にして供され、彼らはそれをフォークとスプーンで崩し他の物と混ぜながら食べる、ご飯だけは食べない。しかもご飯は安いので、食べる量はかなり多いのである。(私はご飯は殆ど食べず(何しろまずい)、ビールでおかずだけを食べる)。
ご飯の食べ方は私の経験範囲では、フィリピンに限らず、世界中どこも同じでご飯だけは食べない。日本の様に、ご飯だけ食べる場所があったら是非教えて欲しい。
農業振興の要点として、日本米の輸出を強調する専門家が多い。しかし、海外での日本食(高い)の普及や在外日本人の増加に伴って少々の輸出増は期待されるが、大幅な輸出増は有り得ないだろう。つまり日本米が極めて高いと同時に、文化と云うものは短時間で変化するものではない。

2015年1月28日水曜日

From Davao, not from Davos

ダバオにて感じることは、変化が少ない、と云うことである。前の場所に前の物が有り、前の人間が待っていてくれる。
韓国、中国で30年余り行き来した経験とは全く違う。韓国や中国では来る度に町の様子が変わり、前回とは違う町に思え前回と同じ生活が出来ない。台湾も変化が激しかったが、古い物、戦前の物をキチンと残しているので一応安らぎが有った。韓国や中国は古い物を全部壊して無くしてしまうのである。
何故ダバオが殆ど変らないのか、戦前の日本人社会の教育や2世3世が
残っていて、それが理由で何とかと言う人も居るが、真の理由は現状で大きな不満が無いからであろう。格差は日本よりは、はるかに大きいが、深刻に考えている様には見えない。これも中国や韓国の様に不平不満が充満している社会とは全く違う。
ダバオでは貧乏な人にはそれなりの食事(場所)があり、金持ちには金持ちの食事(場所)が有る。そして、それなりに幸せに見える。人間の幸せとは何なのか考えさせられる。


2015年1月16日金曜日

エネルギー対策(安全保障対策)

エネルギー対策(確保)は国家の安全保障や福祉(経済活動)の基本である。戦前80%以上のエネルギーを米国に依存していたが、その禁輸によって開戦やむなしに至った記憶は最早現代人には無いらしい。対策として経済的にペイしない自然エネルギーだけを言うのは、左巻き活動を職業とする人、又は無知な人々(貧乏人)であろう。
現状の技術レベルにおいても、根本的なエネルギー対策はある。即ち原発と水素エネルギーの組み合わせであるが、何故それを右巻きの政治家が言わないのか(選挙が怖いのは理解出来るが)。
原発は技術の向上によって益々安全になることは明らかであるが、それでも心配ならば、離島(無人島)に原発を設置すれば良い。所詮水素を作るためだから都市近郊に作ったり、送電したりする必要はない。離島に作れば補助金等が不要になるので、原発コストは大幅に削減される。
然るに現状の水素供給案は化石燃料に頼っている訳で、それなら化石燃料から熱機関によって直接有効エネルギーを得た方が効率が良い。
経済的な面からも、安全保障面からも、地球環境面からも、原発利用さえ考えれば、解決策は多々生まれてくるものを、それを禁句にして水素社会を叫ぶ最近のマスゴミは政治家以上に理解不能である。

2015年1月7日水曜日

インド

次はインドが中国の様に発展すると言われているが、発展とは一体どんな意味で使かわれているのだろうか。
それがGDPの意味ならば、若年人口が多く、海外からの技術移転や資本導入があるので、GDPが大きくなるのは当然であろう。しかし発展の意味が、社会の安定や格差の縮小の意味ならば、インドの発展は甚だ疑問と言わざるを得ない。
中国が共産党一党支配の下では、GDPの増大に拘わらず社会の安定が図られるとは想像も期待も出来ない。同様にインドヒンズー教の下では当分発展は考えられない。すなわちヒンズー教とは1000以上にも上るカーストにより社会の安定を図ると云うシステムであり(民主主義国家と一般には言われているが)民主主義とは本質的に異なるものである。どちらかと言えば、共産党という身分により国家の安定を図る中国に似ている。結論を言えば、中国もインドも社会の安定、もしくは日本のような温い社会は当面は期待できない。
社会、文化、等は何百年・何千年にも渡る歴史の上に築かれたものであり、GDPごときによって左右されるものではない。それにしてもインドの食事は日本食とは真逆のものである。つまり日本でカレー料理といわれているもの、それ以外には無いのである。それに耐えて、毎日同じものを食べても平気で生きていけるインド人の逞しさは日本人から(中国人からも)見れば脅威に値する。