2012年5月11日金曜日

民族

日本の衰退と日本人の劣化を見て、民族とは何か、文化とは何か、しばしば考えるようになった。
今回  HO CHI MINH にて、またまたそのことを痛感している。
CONBODIA と HO CHI MINH  とは地理的に隣で、陸続き、川続きであるにも拘わらず、文化が大きく違うことを実感した。民族とはイコール言葉のように考えるがそれだけで無く、例えば、
CONBODIA : 看板はCONBODIA語、英語、中国語の表示であり外国人は余り活動に不自由を感じ無い、高床生活(2階生活)で、家の周りに沢山のマンゴーを植える。
HO CHI MINH : 看板はベチナム語だけで外国人は活動が困難である、地べたの生活で、家の
周りにハンモック用の木を植える。
(ベトナム戦争で米軍が枯葉剤を使用した真の理由はこれか?ベッドや布団がないと睡眠出来ない者が、ベトナム戦争で勝つためには、彼らも睡眠出来ないようにする必要があったはず)
ベトナム文化は韓国文化と似ており、カンボジア文化は日本文化と似ている、と感じる。
HO CHI MINH で散髪をしたら、30年前の韓国の散髪屋を思い出した(似ている)。

2012年5月5日土曜日

SONYは何故ダメになったか。

SONYは何故ダメになったか、を考える時、出井の有名になった言葉を思い出す。
例えば、①SONYのライバルは東芝や松下ではなく、ディズニーだ。②先進国で
工業製品の比率が高い(40%)のは日本とドイツだけだ。③セコムはSONYの
機器を使って儲けている。更には2010年頃にはSONYは誰も経験したことの
無いような姿(エクセレントカンパニ)になっている、とまで言い切った。
然るに現状はSONY神話(新規技術と高品質)を失った状態にある。所詮全ての
産業分野で一位か二位になるなんてことは有り得ないことだろう。SONYの復活は
SONY神話の復活以外には無いのでないか。即ち出井の逆の方向に人材を
投入することである。
尚、松下が没落しているのも同じ理由だろう、即ち技術の2番手主義など何時
までも通用するはずが無い。しかし最近の松下はそれを理解しているようだ。

2012年5月3日木曜日

既得権の無い者へ

既得権の無い者(若者や貧乏人)へ、考えろ、もっと考えろ、と言っているのだが、
現実は、彼らは考えないで、低脳テレビを見、パチンコをし、携帯で遊んでいる。
日本の没落防止は、思考能力の無い彼等には出来ない。
一体誰が日本の没落を防止してくれるのだろうか。
20年に渡りデフレが止まらないのは、
既得権者(金持ち)にとってはデフレが都合良いからである。
原発反対を言っているのは、原発無しで困らない既得権者である。
原発無しで、電気代が上がって困るのは、既得権の無い者である。
再生可能エネルギ拡大によって、困るのは既得権の無い者である。
例えば既得権のある者は太陽光発電を設置しガッポリ金儲けし、
既得権の無い者は、高い電気代でもって、彼等に奉仕する。
食料自給率を言うのは既得権者である。
既得権の無い者は安い輸入品を食べるので自給率は不要である。
既得権者(特にマスゴミや評論家)は、改革を言う振りをして、
真実は現状維持を主張している。
例えば、田原などは、2院制は必要で、衆参の捩れは良い事だ、と常に主張する。
つまりは現状維持を言っているだけだ。
厚生年金と共済年金の一元化は既得権者の保護政策だ、
真の平等とは、厚生年金も共済年金も無くすことだ(基礎年金で十分)。
本来は、既得権の無い者が、考える以外に解決策は無いのだが、
既得権の無い者が、既得権のある者に騙されているのが現実だ。
つまりは既得権の無い者を騙す改革派ヒーローの出現しか解決策は無い。