2013年1月31日木曜日

鉄道高架

JRの駅前に住んでいるが生活には全く不自由を感じていない。しかし市会議員や市長は鉄道高架化に血道を上げている。鉄道高架推進室を設け、顔色を変えて推進を言うヒステリ市長(政治家)の知能(異常)は理解不可能である。
特に、賛成(市)反対(県、JR)だけで、工事内容の技術的な説明が不足し住民の判断が不能になっていることが最大の問題である。
推進室の宣伝文句 と 私の感想を示せば
1.踏切事故がなくなり、電車待ちのイライラが無くなる。
  踏み切り事故など聴いたことが無い。イライアするのは低品質人間である。
2.高架下を利用した商業施設の整備をする。
  商業施設は余っており、近くの住民は希望していない。
3.駅舎や側道の整備により町が美しくなる。
  美しい町とは何?それより汚い旧商店街を無くすべき。
4.エスカレータやエレベータのある快適な駅にする。
  快適な駅とは何?今でもエスカレータやエレベータがあり、十分快適である。
高架事業には500億円以上の金が掛るそうである。が、市は100億円程度の支出で実施できる制度らしい。市で半分程度負担する制度であれば、所詮話題に上ることも無いだろう。
更に言えば500億円(実際はそれよりもかなり高くかかるらしい)以外の、他の方法に付いては説明を聞いたことが無い。技術的には300億円の案も100億円の案もあるはずだ。最近の政治がらみの議案には、殆どの場合、技術的な検討が不足している。政治家や官庁コンサルの検討内容に技術力が無いことが、日本の劣化や衰退の一因になっているのではないか。

2013年1月21日月曜日

学者と技術者

 学者とは出鱈目な者である、言うこと、やること、全部出鱈目である。しかし、出鱈目を非難しているのではない、出鱈目だから新しいことが発見され、科学の進歩があるのである。
 出鱈目ぶりを上げれば限が無いが、古い例では、人工葉緑素、核融合発電、クロレラ食料、水素自動車等々の実用化がある。それらは20世紀中に実用化すると学者は主張していた(永久に実用化しないだろう)。
 極最近の例を見ても、地震予想の可能性があると言う学者が半分、不可能と言う学者が半分である。また、活断層と断定する学者が半分、そうでないと断定する学者が半分である。
 更に言えば、科学レベルが低かった時には、学者は数メーターの津波が来ると予測し、科学レベルが上げって来ると、津波予測値は10メーター以上になり、最近では30メーター以上の津波予測になった(真実は責任逃れ)。
 従って、そのような学者を相手にして、実害が発生しないようにするのが技術者の役割で有るが、最近の技術者には、そのような概念が無くなってしまったのではないかと、危惧を感じる。
 技術者には学者を活用する特権がた与えられている。正しく活用することは、権利であると同時に責務でもある。学者のレベルを判断した上で、安全係数や本質安全手段を決めるのである。つまり安全係数や本質安全手段は技術者の実力を示すことになる。これらを間違えると、結果として事故に繋がるのである。
 それにしても、福島原発関連の技術者のレベルは酷い。学者から外部電源は喪失しないこと、津波は数メーター以下であること、を指示された、と、言い訳を張っている。学者の出鱈目を防止するのが技術者の役目である。
 

2013年1月18日金曜日

続 農業問題

 今朝、我が天敵(自分で勝手に思っているだけ)寺島某が、私と同じことを言っているのを聞いて驚いた。一つ、農業は技術である。二つ、技術者になれば幸せになれるという時代が必要である(高度成長期、我々の青春時代はそうだった)。
 ならば彼が民主党をヨイショしていた時代に、何故そうしなかったのか。民主党時代では、農業規制の廃止をしなかったのみならず、農家の個別保障などと云う、逆の政策を取ったではないか。彼は最近意見が変わったのか、彼のような日和見は、やはり俺の天敵である。
 農業は高級技術である。つまり農家(特に兼業農家)では農業の発展は不可能である。企業化、大企業化以外には農業の発展は無い。そうすれば、農業土木も公共事業から民間事業に自然と移管が進むであろう。
 現在必死となっている大幅増税を防止するには、農業改革は重要課題である。つまり、数兆円の農家支援や数兆円の農産物輸入が減少すれば、日本の将来は明ると言える。

2013年1月3日木曜日

農業問題の混迷

日本の農業問題の解決が叫ばれてから長年になるが、今のところ(安倍政権になっても)全く問題解決の兆しが見えない。
何故農業問題が解決できないのか、その原因に付いて、多くの人は政治問題(選挙対策)である言っている。勿論その面があることは否定しないが、真の原因は、専門家の思想と官僚の手法に基本的な間違いがある、と考えている。
問題解決するには、その問題に直接取り組まなければならない。然るに今まではこの問題に直接に取り組んだ形跡は全く無い。日本農業の問題は明らかで、それは農地の利用率が低いことと(土地が狭いことでは無い)、後継者が居ないことである。この二つは、鶏と卵の話と同じで同時進行していることで、どちらが先と云う話では無い。
専門家は農業問題を環境問題として取り上げている。すなわち防災設備(雨の滞留)、景観保護(棚田保全等)、文化保存などの視点で対策を言う。まして平和問題として取り上げる専門家も多く、「戦争に食料と土地・水は渡さない百姓宣言」などという全国運動を展開している。こんな対策は農業問題の解決に何ら役立たないことは明らかであろう。
官僚も、専門家の片棒を担いで、税金を使って同様な全国展開をしている。例えば、「ふれあい自然塾」「山彦学校」「水辺の学校」「もりの学園」等々の活動がある。こんなものが農業問題の解決に何の役に立つのか。役人の仕事を作っているだけの細工である。
政治家はもっと酷い、例えば農家の個別所得保証、これは農家なら所得保証するが、株式会社なら保証しない、と云う意識が見え見えである。
農業問題の解決は簡単である。つまり直接に農業問題の対策をすれば良い。個人農家が技術開発出来る訳も無く、マーケッティング出来る訳も無く、役人(農協)が経営出来る訳もない。遊休農地を保証するのではなく、利用農地を保証しなければならない。
つまりは今まで実施してきた対策と反対の対策をすれば良い。農家から農業へ、それだけのことである。

2013年1月1日火曜日

低エントロピ社会

明治維新は西欧を手本にして、戦後は米国を手本にして、追い付け追い越せでやって来たが、それには限界があることに気が付いても良い頃だ。即ち複雑・格差の高エントロピ社会である欧米社会ではダメで、単純・均一な低エントロピ社会の重要性に気が付いても良い頃だ。単一民族、多神教の日本なら低エントロピ社会の実現が、世界で最初に出来るはずだ。
欧米の社会、すなわち貴族階級、新興エリート階級、中間階級、下級階級、移民階級、等々、歴史的に、民族・人種的に、金銭的に階級が確定しその間の移動が少ない格差社会は、規制社会、即ち高エントロピ社会である。格差社会、特に多民族国家では多くの規制無しでは管理が出来ないのである。
それに比し、日本のように殆ど階級の無い社会は、規制の少ない社会、即ち低エントロピ社会である。然るに最近金銭的に階級分離が進行して行く傾向は、高エントロピ社会に向かう危険性がある。
アメリカで弁護士や裁判に使われる費用と日本で遊興飲食や付き合いに使われる費用とは略同額であるらしい。法律(規制)対応のために多額の費用が使われるのは高エントロピ社会、自由に個人の意思で多額の費用が使われるのが低エントロピ社会である。
全てを神のために、最終的には神に委ねる、何事も神の指示のままに、これが妥協を許さない一神教の社会、すなわち高エントロピ社会である。AはA神に、BはB神に、自由にあいまいに妥協を許すのが多神教の社会、すなわち低エントロピ社会である。
社会主義が高エントロピ社会であり、自由主義が低エントロピ社会であることは云うまでもないであろう。
低エントロピ社会、高エントロピ社会、どちらが好みであろうか、明らかに日本では低エントロピ社会が好まれるはずである。エントロピの法則と同じく、放置すればエントロピは増大するのである。エントロピを低下させるためには仕事(努力)が必要なのである。