2013年1月1日火曜日

低エントロピ社会

明治維新は西欧を手本にして、戦後は米国を手本にして、追い付け追い越せでやって来たが、それには限界があることに気が付いても良い頃だ。即ち複雑・格差の高エントロピ社会である欧米社会ではダメで、単純・均一な低エントロピ社会の重要性に気が付いても良い頃だ。単一民族、多神教の日本なら低エントロピ社会の実現が、世界で最初に出来るはずだ。
欧米の社会、すなわち貴族階級、新興エリート階級、中間階級、下級階級、移民階級、等々、歴史的に、民族・人種的に、金銭的に階級が確定しその間の移動が少ない格差社会は、規制社会、即ち高エントロピ社会である。格差社会、特に多民族国家では多くの規制無しでは管理が出来ないのである。
それに比し、日本のように殆ど階級の無い社会は、規制の少ない社会、即ち低エントロピ社会である。然るに最近金銭的に階級分離が進行して行く傾向は、高エントロピ社会に向かう危険性がある。
アメリカで弁護士や裁判に使われる費用と日本で遊興飲食や付き合いに使われる費用とは略同額であるらしい。法律(規制)対応のために多額の費用が使われるのは高エントロピ社会、自由に個人の意思で多額の費用が使われるのが低エントロピ社会である。
全てを神のために、最終的には神に委ねる、何事も神の指示のままに、これが妥協を許さない一神教の社会、すなわち高エントロピ社会である。AはA神に、BはB神に、自由にあいまいに妥協を許すのが多神教の社会、すなわち低エントロピ社会である。
社会主義が高エントロピ社会であり、自由主義が低エントロピ社会であることは云うまでもないであろう。
低エントロピ社会、高エントロピ社会、どちらが好みであろうか、明らかに日本では低エントロピ社会が好まれるはずである。エントロピの法則と同じく、放置すればエントロピは増大するのである。エントロピを低下させるためには仕事(努力)が必要なのである。
 
 

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