世紀末(1990年)から21世紀初頭(2013年)の状況を見て、新しい歴史の始まりと云う人が多い。新しい歴史の始まりの意見には同意するが、世間で言われている理由に付いては同意できない。
まず、ソビエトの解体、中国の膨張、テロの頻発(イスラム原理主義の浸透)、等々を理由に挙げるが、国家や民族の盛衰、衰退は数千年の歴史の延長線上の出来事に過ぎず、何ら新しい歴史ではない。
次にグローバル化を理由に上げるが、ユダヤの拡散、シルクロード、アレキサンダー、ジンギスハン、大航海時代、等々、グローバル化も何ら新しい歴史では無い。最近のグローバル化は技術の進歩により、過去に比べ時間、空間、が大幅に縮小されたに過ぎない。
世間では言われて無いが、新しい歴史の始まり、の理由は技術革新が見られなくなったことと考える。エネルギーに関して云えば、石炭、石油、ガス、原子力と来て、その後が無い。現在推奨の再生可能エネルギーは、従来レベルの大型エネルギーになるとは考えられない。
交通・ITに関して云えば、馬車、自動車、鉄道、飛行機、飛脚、有線、無線、インターネット、と来てその後が無い。生活・文化に関しても、白物家電、空調、ラジオ、テレビ、パソコン、携帯電話、と来てその後が無い。
技術の革新が無いと云うことは、(フロンテア地域が無い限り)実質的な経済成長が無いと云うことだろう。結果として金融業(詐欺)のみが拡大し、それは貧乏人や貧乏国家から富を収奪することになる。ちなみに金融業者が詐欺師であることは明確である。つまり彼らは数十億円/年以上の莫大な富を得ているが、そのババ(倒産の後始末)を引いているのは、一般大衆と政府(税金)であり、貧富の格差も拡大の一途となる。
経済成長が良い事か悪いことかに付いては、議論の分かれるところではあるが、今後の技術革新が無いとすれば、経済成長も無く、新しい歴史は、人生の幸福を、老子の世界に求めることとなる。今後数年の技術革新に期待したいが、技術者の直感としては望みは薄い。
0 件のコメント:
コメントを投稿