いじめ問題とその対策に付いて、管理体制(学校、教育委員会、警察、支援組織)についての議論が進んでいるようであるが、それはそれなりに必要ではあるが、本質からは外れている。
いじめ問題は躾が出来ていない子供が多いことにある。少年院の9割の子供はその家庭に問題があると言うような事実があるように、現在は躾が出来ない家庭が多くなっているが、それを是正出来る近道は現時点では学校教育しかないのではないか。しかるに現状はその逆で、学校では、いじめを隠そうとしたり、いじめっ子(躾の出来ていない子供)を、避けているのが実情である。つまり解決策は、学校の先生に、躾の出来ていない子供の躾をする許可を与える程度ではなく、躾をする義務を課すことである。
当然、躾の出来ていない先生が存在することは論外であり、まずは先生の躾から始める必要があるかもしれないが。
日本では躾を学ぶことは歴史的に合理的(容易)に出来ていた。つまり家庭(祖父祖母を中心)において、神道から祖先の崇拝と自然の畏怖を、仏教から己の精神を律することを、儒教から礼節を、学ぶようになっていた。然るに神道も仏教も儒教も家庭から消えて、結果として躾が出来なくなった。悲しいかな、残された道は学校教育しか残されていないのではないか。いじめ問題の解決と、教育改革、そして日本の再生は同一次元の課題である。
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