日本と朝鮮の関係が険悪になっている中で、父と私の朝鮮経験の話をして、今後の関係改善に期待をしたい。
父は大邱(デグ)警察署の副所長(自称?)として一家を構えていたが、朝鮮の話としては、戦前の話は殆ど無くて終戦時の話ばかりであった。戦前の話はリンゴの実る良い田舎町(今の大邱は東京並みの近代都市で昔の面影は全くない)だったと言うだけで、それ以外に記憶に残ることは無かったのである。すなわち朝鮮では父も多分かなりの悪さもしたと想像するが、日本国内とは大差が無かったのだろう。それに引き替え何時も終戦時の話をした。すなわち朝鮮半島の尾根伝いに満州から着の身着のままで、髪の毛を切り、毎日列をなし、逃げかえって来た婦女子の話である。警察管として多数の人々を学校などに収容し食料などを与えていたが、その中に人が溢れ収容仕切れなくなり、そして混乱が始まり、更には部下の朝鮮人にも物騒な行動が見られるようになり、遂には警察官だけで漁船をチャーターして帰国した、と云う下りである。つまりこの部分が記憶として印象に残っていたのであり、(軍人時代の話は偶にしたが)退役後の警察管時代の話に触れることは無かった。
私は1980年頃、約10年間、韓国の仕事に関係したが、そのころの状況の真実を言えば、私の人格が疑われるようなことになる。それは、とても公開出来るような内容(キーセンパーティなどは最も上品な部分)ではない。そのことは韓国の文化と伝統に過ぎず、従軍慰安婦などの話が出てくること自体が明らかな捏造である。
問題は戦後の韓国における反日教育の結果として、その捏造を信じている韓国の人々が多いことである。数十年に渡る教育・捏造の結果を正すには100年以上が必要かもしれないが、関係改善のためにはその努力以外に他に道は無いことを、お互いに理解しなければならない。
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