寺銭とは博打場の経費のことである。例えば競馬(農林省利権)やパチンコ屋(警察利権)の経費のことである。それと同じようなことが年金でも行われている。
年金に関して原理原則から考える必要がある。
老後(リタイア後)の暮らしは、自助努力による部分と福祉による部分に支えられるのが普通である。そして福祉の部分には主に、年金と生活保護がある。本来年金は生活保護との区別のためにあるべきで、つまり年金は生活規制が無く自助努力部分と併用するものであり、生活保護は自助努力部分が少ない代わりに、生活規制の伴うもの、である。
実際には年金受給者が困窮し、生活保護者が優雅な生活をする場合もある。これは年金受給者に自助努力部分が無くても生活出来るような錯覚を持っている人が居るからであり、
これは自助努力部分が必要と言う教育をしないで、年金で生活の最低保障をするなどと云う、そのような錯覚を持たせるような政策がなされていることが原因である。さらに生活保護については、生活保護者の生活規制が不十分(役人が法律通りに実施しない)なことが原因であろう。
現在の年金は、大部分(厚生年金、共済年金)が自助努力による部分と同様な構造、すなわち年金受給額は報酬比例になっている。報酬比例になっているものが果たして福祉と言えるのだろうか、当然民間保険で代用出来るのである。
民間で代用出来るような報酬比例年金を国家が実施する理由としては、役人が寺銭を稼いでいる以外には考えられない。年金制度はだんだん複雑になっている。今後も益々複雑になるだろう。現状のシステムを維持するためには、歪み修正のため複雑になるのは必然である。結果として、益々寺銭(役人の利得)は増大するであろう。
さらに現在の年金制度での影響は、自助努力を怠る国民が増加することである。日本民族劣化の一因は年金制度にあると言っても良い。早急に現在の年金を破棄して、純粋に福祉的な年金(一律年金)と生活保護だけにしなければならない。
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